立っている天人たちは、服装が華麗であることは、たとえようもない。
きよらなり【清らなり】
美しい
華麗である
- (人の容姿などが)清らかで美しい。気品があって美しい。
- (服装・調度などが)華やかで美しい。すばらしい。華麗である。
- 高度の華美。ぜいたく。
▶ きよげなり【清げなり】
美しい
『源氏物語』桐壺
先の世にも御契りや深かりけむ、世になくきよらなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌なり。一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲の君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。
前世でも御宿縁が深かったのであろうか、たとえようもなく美しい玉のような皇子までお生まれになった。第一皇子は、右大臣の娘の女御がお生みになった方なので、後見がしっかりしていて、疑いもない皇太子として、世間でも大切にお仕え申し上げているが、この御子の輝く美しさにはお並びになりようもなかったので、ほとんど並々でないお気持ちで、この若君(光源氏)の方を、自分の思いのままにおかわいがりあそばされることはこの上ない。
→この後の続きの部分は 【おほとのごもる】の記事をご覧ください。
『源氏物語』梅枝
「兵部卿宮渡りたまふ」と聞こゆれば、おどろきて、御直衣たてまつり、御茵参り添へさせたまひて、やがて待ち取り、入れたてまつりたまふ。この宮もいときよげにて、御階さまよく歩み昇りたまふほど、内にも人びとのぞきて見たてまつる。うちかしこまりてかたみにうるはしだち給へる、いときよらなり。
「兵部卿宮がおいでになりました」と申し上げたので、驚いて(光源氏は)御直衣をお召しになって、御敷物を持って来させて置かせなさって、そのまま待ち受けて、お入れ申し上げなさる。この宮(蛍兵部卿宮)もたいそう美しくて、御階を恰好よく歩いて上がっていらっしゃるところを、御簾の中からも女房たちが覗いて拝見する。かしこまってお互いにきちんとした態度をとっていらっしゃるのは、実に美しい。
→この後の続きの部分は 【うるはし】の記事をご覧ください。
華麗である
『竹取物語』かぐや姫の昇天
宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり、昼の明さにも過ぎて、光りたり。望月の明さを十合はせたるばかりにて、在る人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて下り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに立ち連ねたり。内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢をとりたてむとすれども、手に力もなくなりて、萎えかかりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、ほかざまへ行きければ、あひも戦はで、心地、ただ痴れに痴れてまもりあへり。
立てる人どもは、装束のきよらなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋さしたり。
その中に王とおぼしき人、家に、
「みやつこまろ、まうで来」
と言ふに、猛く思ひつるみやつこまろも、物に酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。
宵も過ぎて、子の時(夜中の12時頃)くらいに、家のあたりが、昼の明るさにも増して、光っていた。満月の明るさを十個合わせたぐらいで、そこにいる人の毛穴までも見えるほどである。大空から、人が雲に乗って下りて来て、地面から五尺(約1.5メートル)くらい上のところに立ち並んだ。(家の)中や外にいる人々の心は、何かに取り憑かれたような様子で、向かい合って戦おうという気持ちもなかった。なんとか思い起こして、弓矢を取って構えようとしても、手に力もなくなって、ぐったりとしている中に、気丈な者が、我慢して射ようとするが、あらぬ方向に矢が飛んでいくので、皆戦わないで、気持ちが、ただもうぼんやりとしてして、お互いの顔を見つめ合っている。
立っている天人たちは、服装が華麗であることは、たとえようもない。空飛ぶ車を一つ持って来ている。(その車には)薄い絹を張ったかさをさしている。
その車の中の王と思われる人が、
「みやつこまろ、出てきなさい」
と言うと、勇ましく(かぐや姫を迎えに来た天人と戦おうと)思っていたみやつこまろも、何かに酔ったような気分になって、うつぶせに伏している。
『源氏物語』葵
大殿には、御物の怪いたう起こりていみじうわづらひたまふ。この御生霊、故父大臣の御霊など言ふものありと聞きたまふにつけて、思しつづくれば、身ひとつのうき嘆きよりほかに人をあしかれなど思ふ心もなけれど、もの思ひにあくがるなる魂は、さもあらむと思し知らるることもあり。
年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、かうしも砕けぬを、はかなきことの折に、人の思ひ消ち、なきものにもてなすさまなりし御禊の後、ひとふしに思し浮かれにし心、鎮まりがたう思さるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、かの姫君とおぼしき人の、いときよらにてある所に行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、たけくいかきひたぶる心出で来て、うちかなぐるなど見えたまふこと、度かさなりにけり。
左大臣家では、御物の怪がたいそう現れて、(葵の上は)ひどく病状が悪くていらっしゃる。(六条御息所は)その物の怪が、ご自分の御生霊だとか、故父大臣の御霊など言う者がいるとお聞きになるにつけて、お考え続けてみると、我が身ひとつの悲しみ嘆きのほかに他人に対して不幸になれと思う心もないけれど、もの思いによってさまよい出るという魂は、そういうこともあるかもしれないと、思い当たられることもある。
数年来、(六条御息所は)何事も思い残すことのないように過ごしてきたが、こんなにも心を痛めたことはなかったのに、些細な事(車争い)の折に、(六条御息所を)無視し、いない者のように扱う態度をとった御禊の後は、あの一件によって落ち着かなくなった心が、鎮まりそうもなく思われるせいか、少しうとうと眠りなさる夢には、あの姫君(葵の上)と思われる人の、とても華麗にしてある所に行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、猛々しく激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく叩くのなどをご覧になることが、度重なった。
『源氏物語』御法
年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける『法華経』千部、いそぎて供養じたまふ。わが御殿と思す二条院にてぞしたまひける。七僧の法服など、品々賜はす。物の色、縫ひ目よりはじめて、きよらなること、限りなし。おほかた何ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。
ことごとしきさまにも聞こえたまはざりければ、詳しきことどもも知らせたまはざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへかよひ給ひける御心のほどなどを、院はいと限りなしと見たてまつりたまひて、ただおほかたの御しつらひ、何かのことばかりをなむ、営ませたまひける。
長年、(紫の上が)私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、準備して供養なさる。(紫の上が)御自分のお屋敷とお思いの二条院で催されるのであった。七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。法服の染色や、仕立て方をはじめとして、華麗であること、この上ない。だいたいどのようなことに対しても、実にご荘厳な法会を催された。
仰々しいことだともお思いになっていらっしゃらなかったので、詳細な事柄は(紫の上に)お教えにならなかったのに、女性の御指図としてはたいそう行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお人柄につけても、院(光源氏)はまことにこの上ないと感心なさって、ただ大体の装飾や何かのことだけを、取り行いなさるのであった。
→この後の部分は 【ことごとし】の記事をご覧ください。
誰かに話したくなる古典知識
『源氏物語』御法
二条院
『源氏物語』
御法(みのり)で紫の上が「わが御殿と思す二条院」は、もともとは桐壺更衣の里邸でした。紫の上は、幼いころ光源氏に引き取られてから、ここで育ったので、格別な思い入れがあったのだと思います。
六条院ができてからは、二条院の東の対に、末摘花や空蝉が住むようになりました。晩年の紫の上は、出家を望みましたが許されず、二条院に住み、大規模な法要を開きました。
六条院
六条院は、光源氏が人生の後半に住んだ邸です。四つの町からできていて、それぞれの場所に女君たちが住んでいました。町ごとにそれぞれ季節が決まっていて、その季節に、最も美しくなるように工夫された植物が植えられていました。南東の春は、紫の上で、紫の上が養育していた明石の姫君もここに暮らしました。
南西の秋は、秋好中宮の里帰り用の邸で、亡き母の六条御息所の庭園が活かされ、秋に美しい植物がありました。北東の夏は、花散里が住み、引き取られた子どもたちを養育することもありました。玉鬘も、ここの西の対に住みました。北西の冬は、明石の君が住み、母の明石の尼君(明石入道の北の方)も、ここに暮らしました。
六条院のイメージ図

キャラ紹介
華麗な友だち

きよらなり【清らなり】
美しい。華麗である。